なぜ誹謗中傷されているのか

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特集記事

3. 良心をもたない人たち

平然と嘘をつき、涙で同情を誘い、都合が悪くなると逆ギレをする

 私が当該人物からSNSで誹謗中傷されている事実を全く知らない読者にとっては、この論文に書かれていることがいったい何のことなのかさっぱり理解できないであろう。しかし、もし自分や身近な人々が理不尽な誹謗中傷を受けて苦しむようなことがあれば、私の体験が解決の糸口になるかもしれないのでこのまま進めることにしたい。
 さて、当該人物が私のことを見下していることは当該人物が毎日更新している複数のSNSを閲覧している人達には一目瞭然であろう。しかし、当該人物には私よりもっと見下している人達がいる。それは現在、当該人物にまんまと操られている信者達である。当該人物が信頼関係を築いたり、相手をリスペクトすることはない。私がどうなったかを見れば一目瞭然である。
 当該人物におもしろいように操られて私に攻撃的なメールを送りつけてきたりしている人達は、当該人物の言葉を借りて表現すれば「チンパンジー以下」なのであろう。今回はハーバード・メディカル・スクールの心理セラピスト、マーサ・スタウト氏の著書「良心をもたない人たち」を引用しながら、当該人物がどうやって人を操っていくかにフォーカスを当てて当該人物の思考を検証していきたいと思う。

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(1) 精神医学の専門家の多くは、良心がほとんど、ないしまったくない状態を、「反社会性人格障害」と呼んでいる。この矯正不可能な人格異常の存在は、現在アメリカでは人口の約四パーセントと考えられている──つまり二五人に一人の割合だ。
 この良心欠如の状態には、べつの名称もある。「社会病質(ソシオパシー)」、ないしはもっと一般的な「精神病質(サイコパシー)」。じつのところ罪悪感の欠如は、精神医学で最初に認められた人格障害であり、過去には譫妄(せんもう)〔錯覚・幻覚・異常行動をともなう状態〕なき狂気、精神病質的劣勢、道徳異常、道徳的痴愚などという言葉も使われた。
 精神病の診断でバイブルとされている、アメリカ精神医学会発行の『精神疾患の分類と診断の手引」第四版によると、「反社会性人格障害」の臨床診断では、以下の七つの特徴のうち、少なくとも三つをみたすことが条件とされている。

 一、社会的規範に順応できない
 二、人をだます、操作する
 三、衝動的である、計画性がない
 四、カッとしやすい、攻撃的である
 五、自分や他人の身の安全をまったく考えない
 六、一貫した無責任さ
 七、ほかの人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責を感じない

 ある個人にこれらの症状のうち三つがあてはまった場合、精神科医の多くは反社会性人格障害を疑う。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 15-16)

 

 

 

 

 

まず、私が受けている誹謗中傷の事実をベースにして、あなたらな客観的どう判断するかを考えて頂きたい。

もし、あなたがネットで誹謗中傷され、しかも顔や居住地を晒されているとしたら、その行為を「社会的規範に順応できている」と考えるだろうか?

もし、あなたに「掲示板が荒らされてますよ〜」と教えてくれた人物が、実は掲示板荒らしの張本人だとしても「人をだまして操作していない」と言えるだろうか?

これは当該人物のブログを読んだ人に限るが、その内容を読んでも「攻撃性は感じられない」と思うだろうか?

当該人物が私の顔や居住地をネットで晒したために、ジョギングの際に可動させていた「ランニングアプリ(ネットの地図上にリアルタイムで位置情報が表示される)」が使えなくなってしまった。私が外出中ということが第三者に見えるので空き巣等の被害にあう可能性もあるからだ。もちろんネットで顔や居住地を晒された場合の危険性はこれだけに留まらない。当該人物が他人の安全を全く考えていないことの現れではないのか。

私の主宰している「飲まない会」の人達を調略して分断させたことによって、せっかく長期間断酒をしていたのに心を乱されてスリップ(挫折)してしまった人達も少なくない。しかし当該人物が責任を感じている様子は微塵もない。これが良心の呵責を感じることができる人のやることであろうか?

私が受けている被害はこれだけではないが、ここでは誰にでも見える事実で当該人物が『精神疾患の分類と診断の手引」の「反社会性人格障害」に当てはまるかどうかを判断して頂きたいと思う。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(2) そしてまた、サイコパスはふつうの人より刺激にたいする欲求が強く、結果として社会的、肉体的、経済的、あるいは法的にリスクを冒すことが多くなる。特徴をあげると、彼らは人を惑わせて危険な冒険に引きずりこむ。共通して病的に嘘をつき、人をだます。
(マーサ・スタウト 2012, p. 17)

 

 

 

 

 

 人は誰でも嘘をつく。近所の人が飼っている犬が嫌いでも「可愛いですね〜」と言ったりする。売上を上げたいためにボタンが飛びそうな服を試着している客に対して「お似合いですよ〜」と言う販売員もいる。この程度の嘘はつかれても被害と言えることではない。
 しかしサイコパスは相手の人生を変えてしまうような嘘を平気でつく。その嘘によって相手が精神を病んだり、職場を解雇されたり、恋人と分かれることになったり、自殺したりしてもサイコパスは全く良心が傷まない。
 このように嘘には相手との関係を良くするためにつく「向社会性の嘘」と相手の人生を変えてしまうような「反社会性の嘘」がある。サイコパスの最大の武器は平気でどんな嘘でもつけることである。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(3) およそ二五人に一人の割合でサイコパス、つまり良心をもたない人たちがいる。彼らは善悪の区別がつかないわけではなく、区別はついても、行動が制限されないのだ。頭で善と悪のちがいはわかっても、ふつうの人びとのように感情が警鐘を鳴らし、赤信号をつけ、神を恐れることがない。罪悪感や良心の呵責がまったくないため、できないことはなにもない人たちが、二五人に一人いる。
(マーサ・スタウト 2012, p. 20)

 

 

 

 

 

 一般の人々は「罪悪感や良心の呵責がまったくない」とうい精神状態を想像できない。想像できないから疑うことをしない。サイコパスにとって嘘をついても99%の人達が疑わないからやりたい放題である。医師免許がなくても医者になりすまし、教員免許がなくても教員になりすます。一般の人々はまさか資格を詐称する人がいるとは疑わないからろくに確認もしない。彼らはカンニングで試験をパスすることすら面倒と考える。だって学歴を詐称する方が簡単だから。
 そうやって役職に就き、広い家に住み、高級車を乗り回し、異性を想いのままに操って生きている。正直者が馬鹿を見る世界を作り上げているのはサイコパス達なのである。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(4) 人間社会にかなりの割合で存在するサイコパスは、この地球上でともに生きているその他の人びとに、深刻な影響をあたえる。四パーセントの存在によって、人間関係、財産、功績、自尊心、平和な生活そのものが奪われるのだ。
 だが多くの人は、驚くほどこの障害について知らず、知っていても暴力的な反社会性人格障害にかぎられる──殺人、連続殺人、大量殺人などを犯し、何度も派手に法律を破り、捕まれば監獄に送られ、司法に裁かれて死刑に処されるようなケースである。
 ふつうの人たちは、身近にいるもっと大勢の非暴力的なサイコパスに気づかず、いても見分けることができない。彼らはめだつほど法律を破ったりしないので、司法機関も手出しができない。
 ふつうの人は、民族の大量虐殺と、たとえば、会社で同僚について平然と上司に嘘をつく行為とのあいだに、共通点を見いださない。だが、そこにはたしかに、ぞっとするような心理的共通点が存在する。単純だが底が深い共通点。つまり、自分が道徳や倫理に反した行為や、怠惰、利己的と思える行為を選ぼうとしたとき、それを抑えようとする内的メカニズムが欠けているのだ。
 この内的メカニズム、すなわち良心をもつかもたないかは、まちがいなく知能程度、民族、性別以上に重要な、人間の本質にかかわるちがいである。サイコパスのなかで、ほかの人たちの稼ぎに依存する者と、ときどきコンビニで万引きをしたり、通行人をおどして金を奪ったりする者とのちがい、あるいはどこにでもいそうな乱暴者と殺人者とのちがいは、社会的地位、野心の強さ、知的能力、流血への欲望、あるいはたんなる運の差にすぎない。だが、良心をもたない人とその他の人たちのあいだを隔てているのは、心の中に開いた完全にうつろな穴である。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 20-21)

 

 

 

 

 

「サイコパス」という言葉は独り歩きし過ぎている。「サイコパス」と聞いて誰もが想像するのはヒッチコックの映画「サイコ」の中でジャネット・リーをバスタブで殺害するアンソニー・パーキンスや、映画「羊たちの沈黙」の中で拘束衣にがんじがらめにされているハンニバル・レクターのような人物であろう。あるいは酒鬼薔薇聖斗や死刑が執行された大久保清や宮崎勤らを思い浮かべる人がいるかもしれない。
 しかし猟奇的な凶悪犯のサイコパスの方がむしろ稀であり、日本では100人に1人の割合で殺人を犯さないサイコパスが善人の中に紛れ込んでいる。彼らは嘘という武器によって他人の財産、功績、自尊心、平和な生活、人間関係を簡単に奪うことができるのだから、わざわざ刑に服すようになることはしないのである。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(5) 高度な教育を受けていても、サイコパスという言葉の意味を知る人は少ない。自分の知り合いのなかに、それにあてはまる相手がいる可能性が十分にあることを理解している人は、もっと少ない。そしてこの呼び名について知ったあとも、たいていの人が良心が欠けた状態を思い描けない。
(マーサ・スタウト 2012, p. 23)

 

 

 

 

 

 残念ながらサイコパスが身近に存在しているという大きなリスクを勉強する機会は人類にとってほぼ無かったと言ってもよいだろう。私のように「今まさに」サイコパスから日々攻撃を受けているという状況にある場合でもない限り、精神科医でもない一般人がサイコパス関連の文献を読み漁ったりはしない。
 それは歴史上サイコパス達が巧みに善人を騙してきたからに他ならない。また「fMRI」によって眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)と扁桃体の異常が「反社会的人格障害」の原因と特定されたのもごく最近になってからである。だから「サイコパス」と聞いても多くの人々にとってはドラマの中の世界の話なのである。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(6) ブリティッシュコロンビア大学の心理学教授ロバート・ヘアは、「精神病質チェックリスト」と呼ばれるものを開発した。このリストは現在、世界の研究者や臨床家に診断基準として受け入れられている。冷静な科学者であるヘアは、自分の患者についてこう書いている。「彼らには専門家もふくめてだれもがだまされ、あやつられ、甘言にのせられ、目をくもらされる。優秀なサイコパスはどんな相手の琴線にもふれることができる......彼らから身を守る最良の方法は、この捕食者の性質を理解することだ
(マーサ・スタウト 2012, p. 24)

 

 

 

 

 

 サイコパスは精神科医も騙すことができる。つまり一般の人々が騙されないということはまずない。多くの人々が私のように簡単に騙されてしまうであろう。
 一般の人々には良心があるから嘘をつくことに躊躇したり罪悪感を覚えたりする。だから自分の態度で相手にバレると思うから「盛る」程度の話はできても、全くの嘘はつくことができない。
 しかしサイコパスの嘘はポリグラフ(嘘発見器)でも見破れない。良心がないから嘘をついても脈拍の乱れや発汗といった生体反応を示さないのである。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(7) 心理学者としても、一個人としても、私は良心のない少数派の選択と行動によって、人生が狂わせられた例をあまりに多く目にしてきた。これらの少数派は危険であると同時に、見分けるのがきわめてむずかしい。とくに肉体的な暴力を振るわなくても、彼らは人の人生を破壊し、人間社会全体を不安に陥れることが非常にうまい。
 良心をもつ人たちは、これらの冷酷で道徳意識が希薄な少数派を見分け、効果的に対処できるよう、彼らが日常どんな行動をとるかを学ぶべきだろう。
(マーサ・スタウト 2012, p. 30)

 

 

 

 

 

 もしかしたら長い人生の中で、あなたが就きたかった職業、あなたが契約するはずだった案件、あなたが昇格するはずだった役職、あなたに好意を抱いていた異性、あなたに入るはずだったオファーをあなたの見えないところであなたの知らないうちにサイコパスが奪っていた可能性がある。
 おそらくあなたの反応は「いったい何の話?」ということであろう。ごもっともである。しかし、まずは以下のドリーン・リトルフィールドの例を読んで頂きたい。もしかしたら過去に思い当たる経験があるかもしれない。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(8) ◎患者を打ちのめす医師

 ドリーン・リトルフィールドは、バックミラーに目をやった。自分が美しいことを願うのはこれで百万回目だ。美人のほうがずっとらくに人生を生きられるはず。睡眠が十分でメークもばっちりなので、今朝の彼女はきれいに見える。だがメークののりがわるくて疲れていたりすると、ぱっとしない顔だということは自分でもわかっていた。田舎から出てきた野暮ったい女のように見え、この黒いBMWの運転席より牛の乳しぼりのほうが似合う感じになってしまう。
 彼女は三十四歳で、少し顔色がくすんでいるが、肌にはいまも張りがあり、まだしわもない。だが鼻はいささかとがりすぎで、一番の難点である麦わら色の髪は、いくら手入れをしてもかさかさの縮れっ毛が直らない。さいわい体の線は文句なしだ。
 ミラーから目をそらし、ライトグレーのシルクのスーツを眺める。オーソドックスだが、体にぴったりあっている。ドリーンはスタイルがいいうえに、動き方を心得ている。顔だちが冴えない女にしては、信じられないほど魅惑的だ。部屋に入ると、そこにいる男たちの視線がいっせいに集まる。それを思い出して彼女はにっこりし、車をスタートさせる。
 アパートから一・五キロほど行ったところで、いまいましいマルチーズに餌をやるのを忘れたのを思い出した。でも、かまわないわ。あの生意気なばか犬は、私が今晩帰るまでに死ぬこともないでしょ。ひと月前に衝動的に買った犬だが、いまでは自分があれを買ったことが信じられない。散歩させたら自分がエレガントに見えると思ったのだが、実際にやってみると散歩は退屈だった。いつかひまを見つけてあれを眠らせるか、だれかに売ってしまおう。私だって高いお金を払ったのだから。

 精神病院の広い駐車場で、彼女はジェンナのくたびれたフォード・エスコートのとなりに車を停めた。ジェンナに、自分との差を見せつけられるように。もう一度ミラーに目をやってから、ドリーンは忙しい仕事ぶりが一目でわかるような、ふくらんだブリーフケースを抱えて車を降りた。病棟の上の、オフィスの並ぶ階まで階段を上がる。待合 室を通りすぎるとき、彼女はその棟で事務員兼受付係をしている野暮ったいアイヴィーに、あなたとは友だちよね。と言いたげな笑顔を投げかけ、アイヴィーはぱっと顔を輝かせる。「おはようございます、リトルフィールド先生。わぁ、そのスーツ、素敵ですね!ほんと、ゴージャス!」
「ありがと、アイヴィー。あなたって、いつでも私をいい気分にさせてくれるわね」ドリーンはにこやかに答える。「私の患者さんがきたら、ブザーで教えてくれる?」 ドリーンは自分のオフィスに姿を消し、アイヴィーは頭を振って、だれもいない待合室でひとりごとを言う。「あの人って、世界で一番、感じのいい人だわ」

 時間はまだ八時前、オフィスのドリーンは同僚たちがやってくるのを窓から眺めた。「ジャッキー・ルーベンスタインが、長い脚と気取りのない物腰で、建物のほうに歩いてくる。ジャッキーはロサンゼルス出身の穏やかな楽しい人で、美しいオリーブ色の肌が彼女をいつも素敵な休暇から帰りたてのように見せている。しかも優秀で、じつはドリーンよりはるかに頭がいい。そのためドリーンは内心、ほかのだれよりもジャッキーを嫌っていた。
 本当の話、彼女はジャッキーを殺したいほど憎んでいた。ドリーンとジャッキーは八年前、博士課程を修了後にこの病院に入り、友だち同士になった(少なくともジャッキーはそう思っていた)。そしていま、ドリーンはジャッキーが今年度の最優秀療法士に選ばれるという噂を耳にした。二人は同い年だった。なんでジャッキーが、三十四歳で「最優秀」の賞をもらえるわけ?
 芝生から建物を見上げたジャッキー・ルーベンスタインが、オフィスの窓辺にいるドリーンに気づいて手を振った。ドリーンは少女のような笑顔を見せて、手を振り返した。

 このときアイヴィーがドリーンのブザーを鳴らし、その日最初の患者の到来を告げた。はっとするほどハンサムで体格もたくましいが、ひどくおどおどした表情の若者、デニスだ。有名な政治家の甥であるデニスは、病院用語で言えば、VIP(ベリー・インポータント・ペイシェント/とても重要な患者)だった。この名門大学付属病院には、そんなVIPが多かった。セレブ、金持ち、著名人の家族などだ。心理セラピーを受けているデニスは、ドリーンの患者ではなかった。ドリーンは彼の監督係だった。つまり彼に週に二回面接して、治療の進みぐあいはどうか、事務手続きに落ちはないかたしかめ、その時期がきたら退院を認める役目である。ドリーンはすでにスタッフから、デニスが今日、自分の退院について話したがっていることを聞いていた。もう家に帰れるほど回復したと考えているらしい。
 監督の仕事と心理セラピーの仕事がわかれているのは、病院の方針だった。どの患者にも監督係とセラピストの両方がつく。デニスが敬愛するセラピストは、優秀なジャッキー・ルーベンスタイン博士。昨日ジャッキーは、デニスの回復ぶりがめざましいので、 退院したら外来患者として診たいと、ドリーンに話した。

 ドリーンのオフィスに入ってきたデニスは、低い椅子に腰かけ、なんとかドリーンと目を合わせようとした。退院できるほど回復したところを、見せたかったのだ。だが、彼はなかなか目を合わせられない。なぜか彼女のグレーのスーツにも、彼女の目つきにも怖いものを感じた。それでも彼はドリーンが好きだった。いつもとてもよくしてくれたし、ほかの人たちからも、リトルフィールド先生ほど患者思いの先生はいないと聞かされていたからだ。それになんと言っても、彼女はベテランだ。
 デスクの向こう側に座ったドリーンは、デニスを眺め、彼の顔の線と二十六歳のたくましい体つきをあらためて素敵だと思った。将来いくら遺産が入るのだろうと、想像をめぐらした。そしてようやく自分の役目を思い出し、母親のような微笑みで彼のおどおどした視線をこちらに向けさせた。

「今週はずいぶん調子がよかったらしいわね、デニス」
「そうなんです、リトルフィールド先生。今週はとても調子がよくて。ほんとの話、すっかりよくなった気がします。“考え”が浮かぶことも、前よりずっと減ったし。ここにきたときみたいに、しじゅう悩ませられることもなくなりました」
「なぜそう思うの、デニス? もう悩ませられなくなったと思うのは、なぜ?」
「それは、ぼくがルーベンスタイン先生から教わった認知セラピーを、一生懸命やったから。効いたんです。そう、効果があった。そして......えーと、つまり、もう家にもどれそうな気がするんです。というか、あと少しで? ルーベンスタイン先生は、そのあともずっと外来で診てくれると言ってました」

 デニスの言う“考え”とは妄想性の症状で、彼はときどき妄想に完全に支配されてしまうのだ。感じやすい十代のころ、勉強の成績が優秀で、ハイスクール時代にはラクロスのチームで花形選手だったデニスは、大学一年のときに精神を病んで入院した。その後七年、彼は妄想症状がぶり返すたびに入退院をくり返したが、完治することはなかった。
 妄想に襲われたときは、周囲の人たちが自分を殺そうとたくらみ、表面では嘘をついている、CIAの謀略で街灯が自分の頭の中を監視している、通りの車にはすべて捜査官が乗っていて、自分を連行して覚えのない犯罪のために尋問しようとしている、などと思いこんだ。彼の現実感覚は非常にもろく、猜疑心は妄想が消えても残り、人とのつきあいをむずかしくさせていた。それは相手がセラピストでもおなじことで、誰一人信用したがらないこの孤独な若者と、ジャッキー・ルーベンスタインがセラピーをとおして良好な関係を築きあげたのは、奇跡に近かった。

「え、ルーベンスタイン先生があなたに、もう退院できる、そしてそのあとも外来で診てあげると言ったの?」
「ええ。先生はそんなふうに言ってました。つまり、ぼくがそろそろ家に帰れる状態になったと思うって」
「ほんとに?」ドリーンは、よくわからないわと言いたげな、とまどった顔をした。「私にはそうは言わなかったけど」
 長い沈黙があり、デニスはみるみるうちひしがれていった。そしてようやく彼が口を開いた。「それって、どういう意味です?」
 ドリーンは大げさに同情のため息をつき、自分のデスクから離れて、デニスのとなりの椅子にかけた。彼女が彼の肩に手をかけようとすると、彼はまるでぶたれるのを防ぐかのように、はっと身を引いた。そして窓の外をじっと眺めながら、質問をくり返した。
「ルーベンスタイン先生がそうは言わなかったって、どういう意味です?」
 ドリーンは妄想性統合失調症について十分知っていたから、デニスが世界で唯一の友と信じていたルーベンスタインに、裏切られたと思いこんだのがわかった。
ルーベンスタイン先生はね、あなたの病気が前より確実に悪化したと私に言ったの。そして外来診療については、はっきりと、病棟の外で診るつもりはないと言ってたわ。あなたは危険すぎるからって
 ドリーンの目にも、デニスの心が窓の外に飛びだしていくのが見えるようだった。心は当分彼のもとにもどりそうになかった。彼女は言った。「デニス? デニス、大丈夫?」
 デニスは動かず、口を開こうともしなかった。
 彼女はつづけて言った。「いやなことを聞かせちゃって、ごめんなさい。デニス、きっと何かのまちがいよ。ルーベンスタイン先生があなたに嘘をつくはずはないもの」 だが、デニスは何も言わなかった。彼はこれまでたえず人から裏切られる恐怖と闘ってきた。だが、大好きなルーベンスタイン先生の裏切り、という今回の大波はあまりにもショックで、彼を石像のように凍りつかせたのだ。

 デニスが完全に反応しなくなったのを見てとったドリーンは、電話で助けを呼んだ。たちまち二人の屈強な職員が、彼女のオフィスまでやってきた。ドリーンは上司らしくいかめしい表情をつくって、デニスを泊める。よう命令した。泊める。というのは、患者を鍵のかかっていない病棟から、もっと警備が厳重な鍵のかかる病棟へ移すことを婉曲に伝える表現だった。患者が「泊められる。のは、暴力的になった場合や、デニスのように深刻な再発を起こした場合だ。必要なときは拘束衣を着させられ、薬を投与される。

 ドリーンは自分が彼に話したことを、デニスがだれにもしゃべらないだろうと確信していた。デニスは妄想が強いから、自分の秘密をもらさない。そしてたとえだれかに話したとしても、信じてもらえまい。医師の言葉より患者の言葉を信じる者はいない。そしていま目にしたように、彼は当分のあいだ呆然としたまま、何についても口を開こう としないだろう。
 満足感にみたされて、彼女はジャッキー・ルーベンスタインがおいしいVIP患者を一人うしなったのをさとった。デニスは今後ジャッキーに激しい妄想を抱くはず。そしてとりわけ素敵なのは、ジャッキーが彼にたいする自分のセラピーにだいじなものが欠けていた、あるいはなにか傷つけるような発言をしたと考えて、自分を責めること。ジャッキーはこういう場面ではまったくの負け犬だ。みずから罰を引き受け、べつのセラピストに患者を引き渡してしまう。ルーベンスタイン先生が奇跡のセラピストだという噂も、これまでね。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 99-107)

 

 

 

 

 

(9) ◎強欲なサイコパス

 ドリーン・リトルフィールドは、人格理論家のセオドア・ミロンが言うところの「強欲なサイコパス」、つまり人のもっているものにたいする欲望が異常に強いサイコパスである。すべてのサイコパスが強欲なわけではないが、良心の欠如と強欲さとが一人の人間の中で重なり合うと、恐ろしい存在ができあがる。人の貴重なもちもの。──美しさ、知性、成功、強い個性──は、かんたんに盗みだすことができないため、強欲なサイコパスはその羨むべき特質を汚したり傷つけたりして、人から奪おうとする。ミロンは「彼らにとっての楽しみは、所有することより奪うことにある」と述べている。
 強欲なサイコパスは、ほかの人たちとおなじ恵みをあたえられていない自分は、人生で不当にあつかわれていると思いこむ。そしてほかの人間の人生をひそかに破壊することによって、おたがいの立場を同等にすべきだと考える。自分は自然や環境や運命に軽んじられていると思い、ほかの人をおとしめることが、力をもつための唯一の手段と考えるのだ。そしてたいてい、標的にされたとは夢にも思っていない相手に報復をすることが、強欲なサイコパスの人生でもっとも重要で、もっとも優先順位の高い行動になる。
 この目に見えない権力抗争がなにより優先されるため、強欲なサイコパスは人をだます力や危険をかえりみない大胆さをすべてそこにそそぎこむ。ゲームのために策略を練り、残酷であると同時に、常軌をはずれた自滅的でもある行動をとる。
 こうした人間は私たちの日常の中で身近に存在するが、その行動は気づかれないことが多い。私たちは、まったく害のない相手に、だれかが危険で邪悪な復讐をくわだてるとは考えもしない。考えもしないことなので、実際にそれが起きても私たちの目には見えない。強欲なサイコパスのとる行動はあまりに突飛で、あまりに理不尽なことが多いため、私たちにはそれが意図的なものだとは考えにくく、起きたということさえ信じられない。そのため、サイコパスの本性は、なかなかまわりの人たちに見抜かれない。人目を避けなくても、かんたんに隠すことができるのだ──ドリーンが、知的な専門家た ちが集まっている病院で十年近く隠しおおせたように。

 強欲なサイコパスは羊の皮をかぶった狼だが、ドリーンの場合そのかぶりものはじつによくできていた。ドリーンは心理学者である。というか病院のだれもが、彼女を心理学者と信じていた。じつは、彼女はセラピストとしての資格も、博士課程の修了証ももっていなかったのだ。二十二歳のとき、彼女は故郷の州立大学でたしかに心理学で学士の資格を取得したが、それだけだった。そのほかはすべてジェスチャーゲームだった。病院が博士課程の修了者として彼女を雇ったとき、履歴書に推薦状が二通添えられていたが、どちらも誘惑に負けて彼女と関係をもった高名な学者が書いたものだった。立派な推薦状があるため、採用審議委員会も履歴書に記載された内容の真偽をたしかめず、博士号を取得したものと思いこんだ。そして彼女は、同僚も患者もだまされるほど巧みに心理学者らしくふるまった。人は本を読むだけで十分学べるというのが昔からのドリーンの信条であり、それを現場でみごとに証明してみせたのだ。

 ドリーンは朝八時に回復間近の患者を面接し、なにも知らない同僚への報復として、患者を悲惨な妄想状態におとしいれ、鍵のかかる病棟に送りこんだ。そのあとの彼女のようすはどんなふうだったろうか。オフィスをのぞいたなら、平然と予定の患者たちを面接し、電話をかけ、書類仕事をし、会議へと出ていく彼女の姿が見えたはずだ。彼女の態度はごくふつう、あるいはふつうに近く、見た目にはいつもと変わらなかっただろう。
 彼女はそれまで患者たちにたいしてあまり親身にならなかったかわり、めだった事もあたえなかった。精神病の入院患者に手練手管を使っても、無駄なことだ。彼らは、彼女が望むものをなにももっていない。彼らはすでに世の中から脱落しており、同じ部屋にいるだけで、自分のほうが上だと感じられる相手である。ただし魅力がありすぎたり、頭がよすぎたりする女性患者がいた場合はべつだ。そんなときは患者の中の自己嫌悪に少しばかり刺激をあたえて、高慢の鼻をへし折ってやる。患者の面接はいつも一対一であり、患者には自分が何をされたかわからないため、その事実はほかのだれにもさとられない。

 だが、ドリーンは自分がほしいと思えるものをもっていない相手は、標的にしなかった。逆に自分より下の相手には、特別に愛想をふりまき、思いやりを見せた。羊の皮をかぶり、自分を特別いい人間で、やさしく、責任感があり、かわいそうなほどよく働くと見せかけたのだ。たとえば、ジャッキー・ルーベンスタインとデニスをひそかにおとしいれた日、彼女は帰りがけにアイヴィーのデスクに立ち寄って、親しげに雑談を交わすのを忘れなかった。事務員兼受付係のアイヴィーは、味方につけておけば重宝な存在だったのだ。
 ドリーンは自分のオフィスから出てきて、待合室の椅子にどっと倒れこむと、こう言った。「ああ、アイヴィー! 今日という日がやっと終わったわ!」
 アイヴィーはドリーンより二十歳年上。太りすぎで、プラスティックのイヤリングをしている。ドリーンは彼女を内心みっともないと思っていた。
 アイヴィーはやさしく答えた。「ほんとに、お疲れさま。そしてかわいそうなデニス! 私はお医者さんじゃないけど、患者さんたちをよく見てるから。よくなったかと思ってたのに......私の勘ちがいだったのね」
「ううん、あなたはとても観察が鋭いわ。あの人、たしかに一時はよくなったの。この仕事って、ときどきほんとにつらいことがあるのよ」
 もちろんアイヴィーは今朝、デニスが屈強な二人の男たちに病棟から連れだされるのを見ていた。
「私、リトルフィールド先生のことが心配だわ」
 そう言ったとたん、アイヴィーはドリーンの目に涙が浮かぶのに気づき、声を低めてつづけた。「まあどうしましょ。今日はたいへんな日だったのね。立ち入ったことを言うようだけど、この仕事をするにはあなた、繊細すぎるのよ」
「いいえ、アイヴィー。ただ疲れただけ。もちろんデニスのことは悲しいわ。だれにも言わないでね──ひいきしてるみたいだから──でも、彼は私にとって特別な患者だったの。早く家に帰ってゆっくり眠りたいわ」
「ええ、ぜひそうなさいな」
「そうしたいけど。でも緊急の用事があるし、書類仕事がまだ残ってるし、半徹夜になりそう」
 アイヴィーはドリーンのふくらんだブリーフケースに目をやって、言った。「かわいそうに。じゃ、もっと楽しいことを考えましょ。今日あったことを忘れられるような....そうだ、あなたのマルチーズはどうしてる?」
 ドリーンは手の甲で涙をぬぐい、にっこりした。「ええ、あの子は最高よ。ときどきあんまりかわいくて、食べちゃいたくなるの」
 アイヴィーは笑った。「だったら、きっといまごろあなたを待ってるわ。家に帰って、ぎゅっとだっこしてあげたら?」
「だっこしないほうがいいかも。つぶしちゃいそうだから。あの子、ほんとにちっぽけなのよ」
 二人は声をあげて笑い、ドリーンは言った。「アイヴィー、あなたって心理学者になるべきだわ。私の気分をいつも明るくしてくれるもの。明日の朝、また元気な顔で会いましょう。こうやって、なんとか頑張りつづけるしかないわね」
「ええ、また明日」アイヴィーは言い、ドリーンが重たいブリーフケースを下げて立ち去るのを見送った。

 ドリーンは駐車場に行き、そこでジェンナと顔を合わせた。ドリーンの車のとなりに停まっている、くたびれたエスコートの所有者だ。ジェンナは病院の新入り研修生で、受付係のアイヴィーとちがい、若くて頭がよく、美人だった。長くて美しいとび色の髪の持主で、ドリーンは彼女も標的にした。
「あら、ジェンナ。いまから帰るの?」
 ジェンナはわかりきった質問に戸惑い、皮肉だろうかと考えた。研修生は奴隷のように長時間残業するのが、当然と思われていたからだ。「ええ、そう。帰るんです。先生もですか?」
 ドリーンは心配そうな顔をした。「チャトウィン棟の緊急会議には出ないの?」
 チャトウィン棟の部長は、厳格でこわいトマス・ラーソン博士で、博士がジェンナの主任教授であることをドリーンは知っていた。もちろん会議など開かれていない。それはドリーンがとっさにでっちあげた嘘だった。
 ジェンナの顔はたちまち蒼白になった。「緊急会議って?だれからも聞いてませんけど。何時から? 内容は? 先生、知ってますか?」
 ドリーンの物腰は女教師のようになり、腕時計に目をやって言った。10分前にはじまったはずよ。留守電のメッセージをチェックしなかったの?」
「もちろんしました。でも会議の話はぜんぜん入ってなかった。場所はラーソン博士のオフィス?」
「たぶん」
「わあ、どうしよう。行かないと......すぐに......いまから駆けつけます」
「そのほうがいいわね」
 ジェンナはあわてたあまり、関係のないドリーンがなぜ急に決まった会議について知っているのか疑いもしなかった。
 彼女は駐車場から飛びだすと、雨でぬれた芝生の上を革のパンプスで走り去った。ドリーンは、チャトウィン棟のある方角へと道を曲がっていく彼女を満足げに見送って、BMWに乗りこみ、バックミラーで自分のメークをチェックすると、家へと車を走らせた。翌日、ジェンナと出会って会議はなかったと言われたとしても、かまうことはない。肩をすくめて目をじっと見据えれば、ジェンナは引き下がるにちがいない。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 107-114)

 

 

 

 

 

(10) ◎サイコパスが有罪になる率は低い

 ドリーン・リトルフィールドの行為は、資格なしにセラピーをほどこしていた点もふくめて、罪に問われることはないだろう。デニスの有力な伯父も、彼以外の患者やその家族も、彼女の正体をあばけない。病院側も、自分たちをあざむいた彼女を法的に訴えはしない。彼女は自分が犯した数々の精神的暴力行為にたいして、罰を受けることはないだろう。言ってみれば、彼女はサイコパスが有罪になるかならないかをしめす好例である。
 じつのところ、人が良心を欠いた行為で捕まるのは例外的だ。人口の四パーセントがサイコパスだとすると、刑務所はサイコパスであふれ、その他のタイプの犯罪者は入れなくなるはずだ。だが、そうはならない。ロバート・ヘアおよび何人かの研究者が服役囚を調べたところ、アメリカの刑務所にいる囚人の中で、サイコパスはおよそ二〇パーセントにすぎなかった。ヘアと研究者たちはこの二〇パーセントは、「凶悪犯」(ゆすり、強盗、誘拐、殺人)および国家にたいする犯罪(反逆、スパイ行為、テロ行為)の五〇パーセントを占めるとも指摘したが、服役中のサイコパスは一〇人中二人だけだった。
 言い換えると、有罪になる者は大半がサイコパスではない。むしろ、麻薬、児童虐待、家庭内暴力、何世代にもわたる貧困などのマイナス影響で犯罪行為に走った、ふつうの人が多い。この統計はまた、サイコパスの犯罪が私たちの司法システムの網に、ほとんど引っかからないことをしめしている。法的には、サイコパスが犯罪者になることはごく少ない。

 たいていのサイコパスは、ドリーンのようにいつまでも人をあざむき、仮面をかぶりつづける。凶悪犯罪(誘拐、殺人など)だけは知能の高いサイコパスにも隠しおおせず、捕まる場合がある。だが、世の中のドリーン・リトルフィールドは、たとえ犯罪が露顕しても、めったに逮捕されない。サイコパスの大半は刑務所に入ることなく、私たちのあいだにいるのだ。
 つぎの章では、良心をもつ人びとがサイコパスの存在を「見抜いて、効果的に対処することがむずかしいのはなぜか、考えてみたい。その理由はサイコパスが使う恐怖戦術から、私たち自身の見当ちがいな罪の意識まで、さまざまだ。だがここではもう一度病院にもどって、ジャッキー・ルーベンスタインが経験した二つの奇跡をご紹介しよう。

 デニスが鍵のついた病棟へ送りこまれて四日目の日曜日。人けのない病院で小型の車が一台、デニスのいる棟へと細い道を上がり、入口で停まった。その車から降りたジャッキーは、コートのポケットに手を突っこんで、まるで中世に使われたような大きな鍵を引っ張りだした。三階建ての病棟に出入りできる鍵だ。彼女はその重い鍵を手に握ったまま、建物に入った。うしろで扉が閉まる音がした。ジャッキーは、怯えた患者のデニスがもう一度自分と話をしてくれることを願って、やってきたのだ。彼のいる階に上がると、また鉄の扉が彼女のうしろで閉まった。デニスは緑色のビニールのソファーに座って、ついていないテレビをじっと見つめていた。彼はジャッキーを見上げ、一瞬目が合った。そしてうれしいことに、彼女にとなりにきて座ってほしいと合図をした。
 そして最初の奇跡が起きた。デニスがしゃべったのだ。ジャッキー・ルーベンスタインに、ドリーン・リトルフィールドが言ったことを、長々と。そして第二の奇跡が起きた。ジャッキーがその言葉を信じたのだ。

 その晩、彼女は自宅からドリーンに電話をかけて対決した。ドリーンはすべてを否定し、患者の妄想に振りまわされているとして、ジャッキーを見下し、非難した。ジャッキーがひるまないと、ドリーンはそんなばかげた話を病院でほかのだれかにしゃべったら、あなたの将来をつぶしてやると脅した。ドリーンとの電話を切ったあと、ジャッキーはロサンゼルスの友人に電話をして相談した。そして冗談半分に、私は頭がおかしくなっているのかも、と言った。
 ジャッキーはドリーンが詐欺師だとは知らなかった。彼女から見ればドリーンは同僚である。そのため、上司に自分の言い分を聞いてもらうのはむずかしそうだと判断した。二人のあいだの個人的対立にすぎないと思われるだろう。最悪の場合は、自分の問題を患者の問題にすり替えていると言われかねない。それでも翌朝、彼女は自分の病棟の部長に会って何が起きたか話した。髭に白いものがまじる部長の顔が赤くなった。怒ってもいなさそうなのに、おかしなことだとジャッキーは思った。ひょっとして、以前うすうす感じたように、彼はドリーンと不倫関係にあったのだろうか。

 部長はジャッキーの話を聞いたあと、ドリーンのように見下した態度はとらなかったが、知能の高い妄想症の患者の話は、うっかり信じたくなってしまうものだとていねいに注意した。そしてデニスの言ったことの中に、事実がふくまれているかどうかは疑わしい、この件でドリーンとのあいだに、いつまでもしこりを残さないでほしいとジャッキーに言った。こうしたいさかいは病棟に悪い影響をあたえる。そんなわけで、いつものように、ドリーンはなんのおとがめも受けなかった。だがさいわい、デニスにたいするジャッキーのセラピーはその後再開され、ほどなく彼は退院した。

 ドリーン・リトルフィールドのジェスチャーゲームは、強欲なサイコパスのケースでよくあるように、外部の人間からの告発というより、挑発で終わりを告げた。ドリーンの場合、笛を吹いたのは、お客さま、ご用心をという地元のテレビ番組に月に二度出演している消費者保護運動家だった。ドリーンがデニスに心理的暴力をふるった六年後、この地元有名人の妻が、鬱病で入院し、まったくの偶然でドリーンがそのセラピーを担当した。妻のセラピーが自分たちの結婚生活を破壊していると考え、怒った彼は自分の専門知識を生かしてリトルフィールド博士の身上調査をおこない、たちまち彼女が何者か──というより何者でないか──をつきとめた。彼はただちに病院の渉外部長に連絡をとり、病院側がドリーンを即刻くびにして、自分の妻にべつのセラピストをつけ、妻の治療費を全額負担しなければ、ドリーンと病院のことをテレビで暴露すると談判した。彼は、妻の治療費を負担するのは、ほかの数百件の患者の治療費を払い戻すよりはるかに安上がりであり、ドリーンの経歴詐称が放送されたら病院はそれ以上の不利益を こうむるだろうと言った。

 資料を見せられて、渉外部長はすぐに事情をさとった。ドリーンはアイヴィーが病院内で開いてくれた四十歳の誕生パーティーの最中に、突然管理棟に呼びだされた。渉外部長のオフィスには、彼のほかに、医療部長、看護部長(ドリーンをはげしく憎んでいるため、みずから出席を望んだ)が顔をそろえ、ドリーンに、いまから警備員が車まであなたに同行し、あなたが病院の敷地内から出たことを確認すると言い渡した。ドリーンは三人にたいして、あなたたちは大きなまちがいを犯している、あの消費者保護運動家は私が嫌いなので嘘をついているのだ、あなたたちを訴えるといきまいた。

 彼女は出てゆき、十四年病院に勤めたというのに、その後彼女の噂を聞いた者はだれもいなかった。病院の役員会は世間を騒がせ、信頼性をうしなうのを恐れて、事件を表沙汰にしないことにした。そして彼女があっさり消えてくれたので、だれもが安堵のため息をついた。看護部長とジャッキー・ルーベンスタインは、ドリーンがべつの州のどこかの病院で、まだ心理セラピーをつづけているのではないかと、内心考えている。

 なぜ良心をもった人たちのそろった病院が、べつの場所でまた悪事を働く可能性のあるドリーンを、そのまま黙って立ち去らせたのだろう。そもそもなぜ、精神病院の人たちに彼女の正体が見抜けなかったのか。そして一般に人はなぜ自分たちの身近にいる破壊的な嘘つきや詐欺師に、気づかないのだろう。
 つぎにご紹介するように、それらの質問にたいする答えは、しだいに解明されはじめている。そしてサイコパスにたいする対応にも、変化が起きはじめている。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 114-120)

 

 

 

 

 

 一般の人々は、マスメディアの偏向した取り上げ方によってサイコパスは猟奇的な連続殺人犯というイメージに捕らわれてしまっているために、ドリーン・リトルフィールドが身近にいることに気づかない。
 しかし、ドリーン・リトルフィールドは私達の社会に100人に1人の割合で確実に存在している。あなたは運良くまだ彼らのターゲットになっていないかもしれないが、私は今まさにジャッキー・ルーベンスタインのようにリアルに攻撃を受けている最中である。受付係のアイヴィーのように騙されたままでいたら、毎日誹謗中傷されることはなかったであろう。当該人物の信者達はアイヴィーのように何も知らないまま今日も断酒の掲示板でアウトプットしている。

2020年9月16日更新

 

 

 

 

(11) サイコパスはだれかを恰好の獲物と見てとると、その相手をじっくり観察する。どのように相手を操作し利用すべきか、そのためには相手をどのようにうれしがらせ魅了すべきか、考える。そしてさらに、サイコパスは親近感を強めるこつを心得ていて、犠牲者に自分と似たところがあると言って近づく。犠牲者はサイコパスと縁が切れたあとまで、自分の心をつかんだ台詞をよく覚えている。「ぼくと君は似た者同士だ」「あなたとは心が通じあえるの」などだ。あとから振りかえれば、これらの台詞はまさに屈辱的だが、相手の心をつかむことに変わりはない。
 そしてまた、サイコパスは性的な誘惑に弱い相手を恐ろしいほどよく見分ける。性的誘惑もサイコパスがよく使う手だ。たいていの人にとって、性的関係は(一時的であっても)感情的結びつきをともなうものである。良心を欠いたサイコパスはそうした結びつきを利用して、ほしいものを手に入れる──献身、経済的支援、情報、勝利感、あるいは正常を装うための一時的関係などだ。これもやはり文学や歴史によく登場するが、それがどれほどサイコパスに力をあたえ、個人や集団に害をおよぼすかを理解している人は少ない。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 126-127)

 

 

 

 

 

 ここから当該人物とドリーン・リトルフィールドの恐ろしいほどの共通点を時系列に沿って検証していきたいと思う。

 2014年11月16日にこのWebサイト「アルコール依存症じゃないけど、酒をやめたい!」を公開した当時は、まさかこんな文字だけのホームページを読む人がいるとは本気で考えていなかった。自分の頭の中を整理するための備忘録のつもりだった。ただ、誰も読まないにしてもホームページとして公開するからには「ある程度ちゃんとしたものにしなければならない」という思いがあった。つまり「もしかしたら誰かが読むかもしれない」という緊張感をあえて作り出し、中途半端に挫折してしまわないように自分自身を追い込んだのである。

 公開して3年もすると読者からメールで質問が届くようになった。これにも驚いた。何故なら一般的には商用でホームページを公開していても「お問い合わせ」のメールが届くことは滅多にないのが実情だからだ。
 私は読者からの質問にはできるだけ丁寧に答えるようにしていた。それは断酒会に3年半在籍していた経験から、断酒している人が孤独感を味わっていることを良く知っていたからである。だから、もしいい加減な文章を返信してしまうと、場合によっては質問者がスリップ(断酒挫折)してしまうかもしれないという可能性を危惧したのである。

 そして読者が増えるに連れて断酒会の例会のように断酒している人達が自分の心境を仲間に聞いてもらう「アウトプット」の場の必要性も感じていた。だから断酒掲示板を作って読者に利用してもらおうと考えた。しかし、このホームページで「断酒掲示板を作ります」と宣言したものの、当時は仕事が忙しくて開発は一向に進まなかった。
 1年もほったらかしにしていたら「掲示板はまだですか?」「楽しみにしています」などというメールが届くようになった。さすがにこれではマズイと思ったので、「メルマガで進捗を報告しますから、受信したい方は読者登録してください」とこのホームページに掲載したのがメルマガの始まりである。
 すぐに280人の読者登録があった。配信し始めると、メルマガの目的は「読者のスリップ防止」になっていった。だから毎日配信しなくてはならない。最初は夕方の配信だけだったが、1ヶ月後には夜の配信も必要に迫られて開始した。夕方のメルマガは半年で800人に増えた。今度はメルマガの配信でますます忙しくなり、断酒掲示板の開発は遠のいていったのである。

 2018年6月に全く知らない人物から「断酒掲示板を作らせて欲しい」というメールが届いた。その人物は10年ほどアルコールに悩まされ続けてきたが、私のメルマガを読んで断酒が続いている状態であったので「断酒掲示板」を作ることによって飲酒欲求を振り払いたいと考えていたようである。
 一般的な掲示板であればWebアプリケーションの基本的なシステムになるので開発はさほど困難ではない。しかし断酒用の掲示板となると断酒継続に特化した機能をいくつか実装しなければならない。そういったモジュールは出来合いのものがあるわけではないのでオリジナルに開発しなければならないから結構面倒なのである。
 この人物(以下掲示板開発者という)は、私がこのWebサイトに掲載しておいた要件定義(掲示板に必要な機能一覧)を満たせるように努力するとメールしてきた。しかも開発にかかる費用は勤務先の社長が負担してくれるというのである。(勤務中に開発しても良いという意味)
 私は成果物のクォリティを期待していはなかったが、「掲示板開発者のスリップ防止になるのなら・・・」という思いがあって承諾することにした。

2020年9月20日更新

 

 

 

 

(12) ◎得意わざは空涙

 だが、性的誘惑は彼らの手口の一つにすぎない。人はサイコパスの演技力にも惑わされる。良心なしに人生を組み立てるには、欺瞞や幻想が必要になる。そこで知的サイコパスは演技が巧みになり、プロの役者なみのテクニックまで駆使する。
 そして皮肉にも、自在な感情表現がサイコパスの第二の天性になる。相手の悩みや情熱にたいする興味津々な態度、胸を叩いて訴える愛国心、正義感あふれる憤り、謙虚に赤らめる顔、悲しげなすすり泣き。思いどおりに流す空涙は、サイコパスの得意わざだ。アイヴィーの同情を引くために、ドリーンは患者のデニスについて空涙を流した。そして、犬を安楽死させたときは、犬の病気が猛烈な苦痛をともなうものだったのでそうするしかなかった、という話をでっちあげ、ふたたびアイヴィーの前で盛大に泣いたにちがいない。
 サイコパスは、相手に自分の正体がばれそうになったとき、とりわけ空涙を使う。だれかに追いつめられると、彼らは突然哀れっぽく変身して涙を流すので、道義心をもつ人はそれ以上追及できなくなってしまう。あるいは逆の出方をする。追いつめられたサイコパスは、逆恨みをして怒りだし、相手を脅して遠ざけようとする。ドリーンが最終的に解雇されたとき、病院の部長たちにとった態度がそれである。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 127-128)

 

 

 

 

 

(M) 執筆中

 

 

 

 

(13) 『集団心理・国際ジャーナル』の発行人で編集長のベンジャミン・ウルマンはこう書いている。「攻撃的サイコパスが多数の人びとにたいして、ほとんど催眠術的な恐るべき支配力を獲得したとき、人間の残虐性は増加する。歴史上には指導者、予言者、救世主、導師、独裁者その他のサイコパス的誇大妄想者が民衆の支持をとりつけて......人びとを暴力へと煽動した例があふれている」
 こうした“救世主”が、自分の目的のためにふつうの人びとの心を捉えようとする場合、たいていまず君たちこそよりよい世界をつくりだす善なる人びとだと呼びかけ、自分の攻撃的計画にしたがえば、それが実現できると訴える。
 少しばかりこみ入っているが、人びとの良心の目がくもらされるのは、社会を成立させるために必要なプラスの要素を、サイコパスが武器として使うためだ。共感、性的きずな、社会的・職業的役割、やさしさや創造力にたいする敬意、よりよい世界を目指す意欲、権威をもった規律などである。
 そして恐ろしいことをする人間は、外見的には恐ろしいことをしそうに見えない。“悪魔の顔”はしていないのだ。残虐な背景を知らなければ、サダム・フセインの顔はふつうのおじさんのようであり、いかにもやさしい笑顔を浮かべることもあったと伝えられている。おなじように悪の権化とされるヒトラーの顔も、何も知らなければ、どちらかと言えば滑稽な、間抜けな人物に見えるかもしれない。両親を斧で殺害したリジー・ボーデンは、マサチューセッツのフォールリヴァーにいた、ヴィクトリア朝風のレースの襟をつけたふつうの女性とそう変わらない。三六人を殺害したテッド・バンディはハンサムで、死刑囚になってからも女たちから結婚を申しこまれた。チャールズ・マンソンの目つきには、生き生きとした無邪気な表情があった。
 私たちは相手の外見でその人柄を判断しようとするが、たいていの場合うまくいかない。現実の世界では、悪者がいかにもそれらしい顔をしていることはないのだ。狼男やハンニバル・レクター、あるいは〈サイコ〉のアンソニー・パーキンスのようには見えない。彼らはむしろ、私たちとおなじような顔をしている。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 130-131)

 

 

 

 

 

(N) 執筆中

 

 

 

 

(14) 診療経験の中で、私がもっとも多く受ける質問の一つが、「どうすれば、相手が信頼できるかどうかわかるんでしょう」だ。
 私の患者は心的外傷を負った人たちで、その大半はほかの人間に傷つけられたのだから、そう訊ねたくなるのも当然だろう。そしてまたこの問題は、そんな体験をしていない多くの人たちにとっても、非常に重要である。
 人は相手が信じられるかどうか、相手に良心があるかないかを探りたがる。とくに自分と親しい関係にある相手について、また新たに出会った魅力的な相手について、どのていど良心のある人だろうかと、期待をこめて推し量ろうとする。
 信用できない人物は、特別なシャツを着ているわけでも、額にしるしがついているわけでもないので、私たちはおもに当て推量に頼って相手を判断する。そして、なんの根拠もない「三十歳以上の人は信じられない」「男は(あるいは女は)信じられない」「だれも信じられない」といった言い方がはびこる。人はたとえ十把ひとからげであっても、なにか基準がほしいのだ。それは、だれもが警戒すべき相手を知りたがっている証拠と言えそうだが、こうした大雑把なとらえ方はなんの効果もなく、もっとわるいことに、私たちの生活に不安や不幸を生みがちだ。
 相手と長くつきあう以外に、人の信頼度を測る絶対確実な基準やリトマス試験紙はない。この不確実さは人間の条件のひとつでもあり、たとえ信頼度を調べる効果的な方法が見つかったとしても、それは人を傷つける、屈辱的で不当なものと思われかねないだろう。
 だれを信じるかということにかんして、私たちはみなまちがいを犯す。そしてそのまちがいの度合いは人によって差がある。
 こうした前提に立ったうえで、人から信頼できる相手を知る方法を訊ねられたとき、私は悲観的な面と楽観的な面があると答えることにしている。悲観的な面では、現在一○○人に四人は良心をもたない人たちがいるのは事実で、そういう人たちは絶対に信用できない。楽観的な面では、少なくとも一〇〇人に九六人は良心の制約を受けており、責任感があり、かなり信頼できる。私たちが経験する人間関係は、九六パーセントくらいは安全なはずだ。私はそんなふうに話す。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 139-141)

 

 

 

 

 

(O) 執筆中

 

 

 

 

(15) 良心なき人びとにたいして行動を起こすためには、まず彼らを見分ける必要がある。どうすれば、二五人に一人ほど存在する、良心を欠いた潜在的に危険な人物を探しだせるのだろう。相手が信用できるかどうかは、長くつきあってみなければわからない。人間はそのようにできているのだ。だが、信用できる相手――というより信用できない相手―――を見分けることは、急を要する。
 信じてはいけない相手を、どうやって見分けるか。それにたいする私の答えに、たいていの人は驚くようだ。多くの人は、正体がかいま見えるぶきみな行動や動作、おどすような言葉づかいなどを予想する。だが、私はそういうものの中に、頼りになるヒントはひとつもないと答える。最高の目安になるのは、おそらく、“泣き落とし”だと。もっとも頼りになるヒント、平気で悪事をする人びとのあいだでもっとも普遍的な行動は、ふつうの人が予想するように、私たちの恐怖心に訴えるものではない。私たちの同情心に訴えるものなのだ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 142-143)

 

 

 

 

 

(P) 執筆中

 

 

 

 

(16) だが、二五年にわたって被害者たちから話を聞いてきた現在では、サイコパスがなぜ同情を買うのが好きなのか、私にはとてもよくわかる。その理由は、善良な人たちが、かわいそうな人間にたいしては、殺人をも見逃しがちだからだ。そのため、ゲームの続行を望むサイコパスは、同情を誘うような演技をくり返す。
 善良な人びとからの同情は、称賛以上に――そして恐怖以上に――好き勝手にできる力をあたえる。人はだれかに同情するとき、少なくとも当座のあいだは、無防備になる。そして人間同士を集団としてまとめあげる数々の前向きな要素――社会的・職業的役割、性的なきずな、創造的な人にたいする尊敬、指導者への敬意など――と並んで、だれかに同情するときの感情的なもろさも、サイコパスに利用される。人は平気で悪事を働く相手をかばったりしてはいけないとわかっていながら、哀れっぽいようすを見せられると、つい許してしまう。
 同情や哀れみは、それにあたいする人が不幸な目に遭った場合には、プラスに働く。だが、同情するにあたいしない相手、つまり行動がつねに反社会的な人間から強いられた場合は、危険であり、警戒すべきだ。もっともわかりやすい例が、サイコパスの夫から暴力をふるわれる妻だ。夫は妻を殴ったあとキッチンテーブルの前にすわり、両手で頭をかかえ、俺は自分が抑えられない、俺は情けないダメなやつだとうめく。すると妻は心の中で許さなければと思いはじめる。
 ほかにも数えきれないほどの例があり、なかには暴力夫以上にたちがわるいケースや、相手の無意識の中に同情心を刷りこんでいくケースもある。その過程で良心をもつ人びとは、まるで人物あてクイズのような状況に置かれる。背景の絵柄(同情を求める訴え)が邪魔をして、もっとだいじな隠された絵(反社会的行動)が見えなくなってしまうのだ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 143-145)

 

 

 

 

 

(Q) 執筆中

 

 

 

 

(17) だれを信じるべきか判断するとき、忘れてはならないことがある。つねに悪事を働いたりひどく不適切な行動をする相手が、くり返しあなたの同情を買おうとしたら、警戒を要する。その両方の特徴をそなえた人物は、かならずしも大量殺人者とはかぎらないし、まるで暴力的なところがない場合もあるだろう。それでも友人として、ビジネスパートナーとして、あるいは結婚相手として、近づいてはならない相手と言えそうだ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 145-146)

 

 

 

 

 

(R) 執筆中

 

 

 

 

(18) それらを総合して、サイコパシーでは大脳皮質のレベルで、感情的な刺激にたいして変性処理がおこなわれていることがわかる。なぜこうした変調が起きるのかは、いまだ解明されていないが、神経の発育における遺伝的なちがいが原因であるらしい。育ち方や文化的要素が、それをいくらか補うこともあれば、悪化させることもある。 この神経の発育における相違が、サイコパスとその他の人びととのちがいを、少なくとも一部はつくりだしているのだろう。そのちがいは、驚異的だ。サイコパスに良心が欠如しているだけでも悲劇的なのに、それだけではない。彼らは愛ややさしさといった感情的体験を受けとめることができないのだ――その体験が、仕事として冷たく頭で計算されたものであるとき以外は。
(マーサ・スタウト 2012, p. 168)

 

 

 

 

 

(19) 良心はたんに罪悪感や自責の念を感じるだけのものではなく、感情を体験し、他者とのきずなを結ぶ能力と深くかかわっている。サイコパスも、たんに罪悪感や良心の呵責を欠いているだけではない。ほんものの(計算されたものではない)感情的体験をし、その体験を通して他者とほんものの関係を結ぶ能力が欠けているのだ。かんたんに言ってしまうと、道徳観念の欠如の裏には、もっと深刻な事態がある。良心は愛する能力を欠いては存在しない。そしてサイコパシーの根源にあるのは、愛情の欠如なのだ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 168-169)

 

 

 

 

 

(20) サイコパスは、本質的に氷のように冷たい。だからその行動は、感情的に熱くなるふつうの詐欺行為や、ナルシシズムや、暴力行為とはちがう。ふつうの人は家族のだれかを救うために嘘をつくこともあるし、暴力的なギャングのメンバーが仲間に忠誠心や愛情をもつこともある。
 スキップは、子どものときからだれにも興味がなかった。ドリーンは自分の患者に思いやりをもてず、ルークは妻も息子も愛せなかった。彼らにとって、ほかの人びとは、それが友人や家族であっても、せいぜい役に立つチェスの駒でしかない。愛は彼らの範疇にはなく、ほかの人からしめされても理解できない。
 サイコパスが実際に感じると思われる唯一の感情は、直接的な肉体苦痛や快感、あるいは短期間の欲求不満や勝利感から生まれる、原始的、な情緒反応である。欲求不満はサイコパスに怒りや渇望を生じさせる。そして捕食者的な勝利感(たとえばドリーンが研修医のジェンナに泥だらけの芝生でむだ足を踏ませたときなど)が、攻撃的な情動に火をつけ、一瞬の恍惚感、を生む。
 これらの情緒反応はめったに長つづきしない。またその反応は、多くの感情とおなじように太古の時代から存在する大脳辺縁系組織から生じるのだが、高次の、感情とちがって大脳皮質の働きで大幅に修正されず、原始的、なままにとどまっている。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 169-170)

 

 

 

 

 

(21) サイコパスは自分本位の理由で結婚することはあっても、愛のために結婚することはない。本気でだれかを愛することはできないのだ。それは相手が配偶者でも、子どもでも、ペットでもおなじだ。臨床医と研究者は、高次の感情にかんしてサイコパスは「歌詞は知っていても歌えない」状態だと指摘している。人が観察や模倣や練習によって外国語を学びとるように、彼らは感情を学びとらねばならない。そして練習すれば外国語が達者になるように、知能の高いサイコパスは「人に通用する感情表現」がうまくなる。
 これはそれほどむずかしいことではなく、フランス語や中国語よりはるかにやさしい。人の行動をうわべだけでも観察し、小説を読み、古い映画を見れば、恋しているふりや、やさしいそぶりや、関心ありげな態度は習得できる。だれでも「愛してる」と言えるようになるし、目を輝かせて「まあ! なんてかわいいワンちゃん!」と叫べるようになる。だが、行動のもとになる感情を体験することは、サイコパスにはできない。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 171-172)

 

 

 

 

 

(22) だが、サイコパシーの基本的特徴である良心の欠如を、幼児期に受けた虐待と結びつけられるような、説得力のある調査結果はない。そしてサイコパス全体に、鬱病や慢性不安などの、幼児期の虐待による悲劇的な影響はでていない。いっぽう、これまでの研究結果の累積から、幼児期に虐待を受けた者は、違法行為をするしないにかかわらず、そうした影響に苦しめられることがわかっている。
 実際には、サイコパスがほかの人たちより幼児期の体験に影響されにくいという報告もある。たとえば、ロバート・ヘアがみずから開発した精神病質チェックリストを使って、アメリカの服役囚を調べた結果では、育てられた家庭環境は、サイコパスが犯罪行為に走った時期に影響をおよぼしていなかった。家庭環境のよしあしに関係なく、サイコパスと診断された服役囚が最初に裁判にかけられた年齢の平均は、十四歳だった。かたやサイコパスと診断されなかった服役囚の場合は、犯罪行為に手を染めた年齢と家庭環境とのあいだに強い関連があった。彼らがはじめて裁判にかけられた年齢の平均は二十四歳だが、家庭に問題がある者の場合は平均が十五歳だった。
 言い換えると、だれにも想像がつくように、劣悪な環境が犯罪行動をはぐくみ加速させているわけだが、サイコパスの場合は、犯罪行動が独自の時刻表にしたがって自然に花開くようなのだ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 1173-174)

 

 

 

 

 

(23) 1 世の中には文字通り良心のない人たちもいるという、苦い薬を飲みこむこと。
 良心のない人たちは、チャールズ・マンソンや〈スタートレック〉の悪役フェレンギ星のバーテンダーのように凶悪な顔はしていない。私たちとおなじような顔をしている。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(24)2 自分の直感と、相手の肩書――教育者、医師、指導者、動物愛好家、人道主義者、親――が伝えるものとのあいだで判断が分かれたら、自分の直感にしたがうこと。
 意識するしないにかかわらず、あなたはたえず人間の行動を観察している。直感的な印象は、それがいかにぶきみで突飛に思えようと、無視したりしなければあなたを助けてくれる場合がある。あなたの最良の部分は、立派で徳の高そうな肩書が、もともと良心をもたない者に良心をさずけたりしないことを、自然に理解しているものだ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(25)3 どんな種類の関係であれ、新たなつきあいがはじまったときは、相手の言葉、約束、責任について、「三回の原則」をあてはめてみること。
 一回の嘘、一回の約束不履行、一回の責任逃れは、誤解ということもありえる。二回つづいたら、かなりまずい相手かもしれない。だが、三回嘘が重なったら嘘つきの証拠であり、嘘は良心を欠いた行動のかなめだ。つらくても傷の浅いうちに、できるだけ早く逃げだしたほうがいい。
 あなたのお金や仕事や秘密や愛情を、「三回裏切った相手」にゆだねてはならない。あなたの貴重な贈り物がまったくのむだになる。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(26)4 権威を疑うこと。
 ここでもまた、自分自身の直感や不安感を信じるほうがいい。支配や暴力行為や戦争など、あなたの良心に反する行為が、何かの問題解決になると主張する相手には、とりわけ要注意だ。自分のまわりの人たちがみんな権威者に疑いをもたなくなったとしても、いや、もたなくなったらとくに、疑問を抱くこと。スタンレー・ミルグラムが服従について私たちに教えたことを、思いだしてほしい。一○人のうち六人が、いかにもえらそうに見える相手に盲目的にしたがうのだ。
 さいわいなことに、仲間の支持があれば、権威に立ち向かいやすくなる。周囲の人たちにも疑問をもつよう働きかけよう。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(27)5 調子のいい言葉を疑うこと。
 ほめ言葉は、心から言われた場合は、美しいものだ。だが、お世辞は非常に危険であり、私たちのうぬぼれに訴える。相手の心を偽りでそそるための手段であり、たいていあやつろうという意図がひそんでいる。お世辞で人をあやつる行為は、無害な場合もあれば、災いをもたらす場合もある。自尊心をくすぐられたら目を光らせて、お世辞を疑うことを忘れないように。
 この「お世辞のルール」は個人にも、また集団や広く国民全体にもあてはまる。人類の歴史をみると、現在にいたるまで、人びとを戦争に向かわせようとする演説には、心をくすぐる美辞麗句が入っている。国民一人一人が力を合わせて勝利を手にすれば、この世界をよりよいものに変えられる。真人間としての努力が、人道的な成果をもたらし、正しい、道徳的に称賛にあたいする勝利をもたらす。人間が歴史を記録しはじめて以来、大きな戦争はそんなふうに主張されてきた。そして対立するいかなる国でも、それぞれの言語で、聖なる戦争という表現が使われた。
 よこしまな甘言にのぼせた個人は、愚かな行動をとる。大言壮語であおられた愛国主義も、危険である。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(28)6 必要なときは、尊敬の意味を自分に問いなおすこと。
 私たちは恐怖心を尊敬ととりちがえることが多い。そして相手が恐ければ恐いほど、尊敬にあたいする人物と思いこむ。
 私の家には筋肉マンという名前の、ベンガル猫がいる。よちよち歩きのころから、見た目がプロレスラーのようだったので、私の娘がそう命名したのだ。おとなになったいまでは、近所の飼い猫たちのなかでもひときわ大きな猫になった。彼の立派な鉤爪は先祖のアジア・ヤマネコを思わせるが、性格はやさしくておとなしい。
 わが家のとなりには通いの小さな雌の三毛猫がいるのだが、捕食動物ならではのカリスマ性が強く、悪魔のような目つきでほかの猫たちをしたがわせてしまう。その三毛が一五メートル以内に近づくと、体重六・五キロのマッスルマンは体重わずか三キロの彼女の前ですくみあがり、うずくまって防御態勢をとる。
 マッスルマンはすばらしい猫だ。穏やかで情があり、私と心を通わせることができる。それでも彼の反応は私より幼稚だと思う。私は恐怖心と敬意をとりちがえたりしない。とりちがえれば、自分が餌食になりかねないからだ。あなたも人間の大きな脳を使い、反射的に捕食者に頭をさげたがる動物的な傾向を克服し、不安を畏敬の念と錯覚しないようにしよう。本当の人間的な敬意とは強く、やさしく、道徳的に勇気ある人に払われるべきものだ。あなたを脅して利益をえようとする人間は、そのいずれでもない。
 恐怖心を尊敬ととりちがえないことは、集団や国民全体にとってさらに重要だ。人びとに犯罪、暴力、テロの脅威をくり返し訴える政治家や、国民の増大した恐怖心につけこんで忠誠心を獲得しようとする指導者は、どちらかというと大物詐欺師に近い。それもまた、人間の歴史に事実として刻まれている。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(29)7 ゲームに加わらないこと。
 人の心をあおるのは、サイコパスの手口だ。サイコパスの挑発にのって、力くらべをしようとか、だしぬこう、心理分析をしよう、あるいはからかってやろうなどと考えないほうがいい。そんなことをすれば、あなた自身が相手のレベルにまで落ちるだけでなく、本当にだいじなこと、つまり自分の身を守ることがおろそかになってしまう。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(30)8 サイコパスから身を守る最良の方法は、相手を避けること、いかなる種類の連絡も絶つこと。
 心理学者はたいていの場合、避ける。ことを勧めないが、この問題にかんしてははっきりと例外をもうけたい。サイコパスだとわかった相手に対処する唯一効果的な方法は、彼らをあなたの生活から完全にしめだすことだ。サイコパスは社会の約束ごとと切り離された世界にいるので、彼らを自分の交友関係や社会的つきあいの中に入りこませるのは危険だ。
 まずは、あなた自身の交友関係と社会生活から彼らをしめだすこと。その行動はだれの気持ちも傷つけない。傷ついたふりはするかもしれないが、サイコパスに傷つくという感情はないのだ。
 あなたの家族や友人に、自分がなぜ特定の相手を避けようとするのかわからせようとしても、むだだろう。サイコパシーは、驚くほど見分けるのがむずかしく、人に説明するのはそれ以上にむずかしい。とにかく相手を避けること。
 完全にしめだすのが不可能な場合は、できるだけ顔を合わせないように、計画を立てること。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(31)9 人に同情しやすい自分の性格に、疑問をもつこと。
 尊敬とならんで、同情もまた人づきあいではだいじな要素だが、この気持ちは本当に苦しんでいたり、不幸に見舞われた罪のない人のためにとっておこう。 だがもしあなたが、まわりの人をたえず傷つけておきながら同情を買おうと大げさに働きかけてくる相手に、ついほろりとすることが多い場合。あなたはサイコパスとかかわっている可能性が高い。
 それに関連して――私は人がつねに礼儀正しくあるべきかどうか、真剣に考えたほうがいいように思う。一般に、教養ある。おとなは、くり返し嘘をつく卑怯で腹の立つ 相手にさえも、反射的に礼儀正しくふるまう。サイコパスはこの反射的な礼儀正しさを大いに利用し、自分の思いどおりにことを運ぼうとする。
 かんじんなときには、笑顔を見せず冷たく接することを恐れてはならない。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(32)10 治らないものを、治そうとしないこと。
 良心をもつ人には、第二の(そして第三、第四、第五の)チャンスがある。良心をもたない相手とかかわったら、つらくても被害の少ないうちに見切りをつけること。
 ある時点で、私たちは学ぶ必要がある。いかに善意からであっても、私たちは人の行動――性格は言うまでもなく――を変えさせることはできない。この事実を学んで、皮肉にも相手とおなじ欲望にはまりこみ、相手の行動を支配しようとしたりしないこと。
 相手を支配するのではなく、助けたいのなら、みずから助かりたいと望んでいる人だけを助けること。そういう人のなかに、良心の欠如した人間はいない。
 サイコパスのとった行動は、あなたの落ち度ではない。あなたの責任でもない。あな責任をとるべきものは、あなた自身の人生だ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(33)11 同情からであれ、その他どんな理由からであれ、サイコパスが素顔を隠す手伝いは絶対にしないこと。
「だれにも言わないでほしい」と涙ながらに訴えるのは、盗人、児童虐待者、そしてサイコパスの得意わざだ。この嘆き節に耳を傾けてはいけない。サイコパスの秘密を守るより、ほかの人びとに警告を発するほうがはるかに役に立つ。
 サイコパスから、「あんたは俺に、借りがある」と言われたら、ここに書かれたことを思い出してほしい。「借りがある」というのは、何千年も前からサイコパスの典型的な台詞なのだ。いまもそれは変わっていない。ラスプーチンはロシアの皇后にこの台詞を言った。そしてハンナの父親も、本性をさらけだした会話のあと、彼女にそうほのめかした。
 私たちは「借りがある」という言葉に有無を言わせぬ力を感じがちだが、それはちがう。耳を貸してはいけない。そしてまた、「君は私とよく似ている」という言葉も無視すること。似ているはずはないのだから。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(34)12 自分の心を守ること。 良心のない人びとから人間は無力だと言われても、信じてはいけない。人間の大半は良心をもっているし、愛することができるのだ。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(35)13 しあわせに生きること。
 それが最高の報復になる。
(マーサ・スタウト 2012, pp. 210-218)

 

 

 

 

 

(S) 執筆中

 

 

 

 

◎更新履歴
この特集記事は全8回の予定で順次更新していきます。

はじめに
1. 他人を攻撃せずにはいられない人(2020年8月14日更新)
2. サイコパス(2020年8月21日更新)
3. 良心をもたない人たち(2020年9月20日更新)New!

 

 

 

参考文献「良心をもたない人たち」 草思社文庫 2012年12月10日発行
著者紹介
マーサ・スタウト(Martha Stout)
米国のマクリーン精神病院で研修を受け、ストーニーブルック大学で博士号を取得。ハーバード・メディカル・スクールの精神医学部で、心理セラピストとしてトラウマを抱えた患者の治療を25年以上続ける。現在はボストンで臨床心理学者としてカウンセリングをおこなっている。豊富な臨床経験から、患者の多くが「良心のない人」に苦しめられている事実に気づき、本書を発表。邦訳書に「おかしい人を見分ける心理学』(はまの出版)がある。マサチューセッツ州在住。

 

 

 

 

 

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